教育方針

明るい子ども
言葉も動作も対人関係もきびきび、伸び伸びとして健康です。
美しいものや美しい事柄に感動し、正邪の判断を誤りません。
積極的で、しかも暖かみがあります。
賢い子ども
よく聞いたり見たりして正しく理解します。
自分の思っている事をちゃんとちゃんと主張できます。
なぜかな? どうしてかな? と、常に意欲的に探究します。
考えながら行動し、落ち着きがあります。
粘り強い子ども
出来ない、判らない、疲れたなどと泣き言を言いません。
自分のことは、自分でします。仲間と協力して責任を果たします。
我慢したり頑張ったりして努力します。

そんな子どもの姿、幼いなら幼いなりに、大切なことです。
「人として健全に生活できる力」を育てていきたい、それが泉の教育目標です。

理事長挨拶

一帯田園だった千葉市末広に泉幼稚園を設立したのは昭和27年のこと。
当時は戦後の復興に精一杯で、どの家庭も子供をかまう余裕はありませんでした。
しかし、どんな時代であれ日本の将来を背負っていくのは子供たちです。

野放し状態のこの子たちにきちんとした教育を行い、生きる力をつけさせたい−−。

そんな想いで始めたのが泉幼稚園でした。
その後、昭和41年に千葉市小倉台に泉第二幼稚園を開園した頃には多くの園児が通うマンモス幼稚園として知られるようになり、平成7年には八街泉幼稚園を新たに開園。

時代の変遷とともに少しずつ形を変えて歩んでまいりましたが、子供たちの生きる力を育むという創立時の想いは、現在も変わらず私たちの基本理念となっています。

栄伸学園沿革

昭和27年6月
千葉県知事認可を受け千葉市末広に「泉幼稚園(園長:大溝榮子)」を開園。
(千葉県指令総第603号)
昭和41年4月
千葉県知事認可を受け千葉市小倉台に「泉第二幼稚園(園長:大溝榮子)」を開園。
(千葉県指令総第1540号)
昭和46年4月
安井廣子(現:大溝廣子)、泉第二幼稚園就任。
昭和54年12月
泉第二幼稚園園長に大溝伸二就任。
昭和58年3月
園児減少により、泉幼稚園廃園。(卒園児童数2,783名)
昭和58年4月
「学校法人栄伸学園設立(理事長:大溝榮子)」、泉第二幼稚園を学園に寄付、園名を「泉幼稚園(園長:大溝伸二)」に改める。
(定員変更により、5学級190名定員となる。)
平成元年2月
初代理事長死去により、大溝伸二理事長となる。
平成6年3月
「(仮称)八街泉幼稚園」設置計画承認。(千葉県学第6号の3)
平成6年4月
泉幼稚園、学則変更により6学級190名定員となる。
平成7年4月
千葉県知事認可を受け、「八街泉幼稚園(園長:大溝伸二)」開園。
(平成7年3月31日付千葉県学指令第3号の2)
「泉幼稚園」園長に、大溝廣子就任。
「八街泉幼稚園」園長に、大溝伸二就任。
平成9年4月
「八街泉幼稚園」定員変更認可。6学級200名定員となる。
平成12年9月
「八街泉幼稚園」図書室建設。
平成13年12月
泉幼稚園新園舎竣工
平成14年7月
「八街泉幼稚園」遊戯室に空調設備設置。
平成15年6月
「八街泉幼稚園」保育室に扇風機を設置。
平成18年8月
「八街泉幼稚園」隣地を買収し、駐車場を整備。
平成19年4月
大溝伸二引退により、大溝廣子理事長となる。
「八街泉幼稚園」園長に大溝太郎就任。

現在に至る。
(平成27年3月末現在の泉幼稚園、八街泉幼稚園総卒園児数7,909名)